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私のかたちを書き留める

21 「三毒追放」します 

「三毒追放」は、今読んでいる勝間和代さんの本「起きていることは全て正しい」に出てくる言葉。

 

”仏教が三毒として明示している、「妬む、怒る、愚痴る」をやめてみること、「妬まない、起こらない、愚痴らない」という行動パターンを作ることです“(p.127)

 

勝間さんが「三毒追放」をしているのはは数年前にTV「情熱大陸」に出ていた時に見ていた。

その時の私の感想は「いいことだろうけど、私がするのはありえない」 。

それからすっかり忘れていたのだが、再びこの言葉に出会ってハッとした。

 

私が「三毒追放」することこそ、家族のニーズなのでは? 

 

先日受けたAWAKEプログラムで、「家族のニーズを知ること」を強く意識するようになった。

それに合致するのだ。

 

まず、息子。

一日中一緒にいる母親が「三毒」振りまきながら不機嫌で暮らしていたら、それは彼にとって不幸だ。  

私がイライラしながら声を荒げると、息子は怒ったような顔で私を見る。

私が穏やかでニコニコしていると、息子もニコニコと私を見る。

息子が嬉しいのは、どちらの母親だろう。

私はとっくに知っている。 

 

そして、夫。

イライラが夫の帰宅まで残っていると、不機嫌なまま夫に接したり、夫に息子のことを愚痴ってしまう。

夫は普段ご機嫌な人だが、私が不機嫌だと、必ず不機嫌になる。 

夫が不機嫌になると、私は更に嫌な気持ちになる。 

それに挟まれた息子は邪険に扱われることになり、それで息子が泣こうものなら、恐ろしい悪循環に陥る。

 

私はこの悪循環を、夫のせいだと考えていた。

夫には私の感情の防波堤になることを望んでいた。

自分の感情くらい、自由に出してもいいじゃないか…。

そう思っていたが。  

「私が不機嫌だと夫も不機嫌になる」

それって夫は、ただ私が不機嫌なのが嫌だってことなのだ。

私が夫が不機嫌になると嫌な気持ちになるのと同じで。 

夫は、私に機嫌良くいてほしいのだ。 

 

「三毒追放」しても、AWAKEプログラムのコミットメントに決めたような、わざわざ「ありがとう」を言われるようなことではないかもしれない。

けれど、きっと夫と息子は強く必要としている。

 

私は元々育児にストレスを抱えている。

以前ブログに書いた時ほど悩んではいないが、まだ息子にイライラする頻度は多い。

まだ2歳で言ってもわからないし、イヤイヤ期だし、イライラして当然だと自分に言い聞かせていたが、どこかで違和感があった。

やっぱり、イライラしたくないし、怒りたくないのだ。

それなら、自分で怒らないと決めればいい。

怒ることと叱ることは違う。

息子のしたことで、一気に頭に血が登ったり、その一瞬大きな声を出してしまっても、その怒りを続けない。

イライラし続けない。 

起こったことに冷静に対応し、

こうしてほしい、と落ち着いて伝えるのが理想だ。

叱ると怒るを意識してわけるのだ。

 

自分がどんな気持ちでいるかを意識できるようになれば、「妬む、愚痴る」も変えていける。

「妬む」のはそれが羨ましい気持ちの表れ。

「愚痴る」のはその状況を変えたい気持ちの表れ。

気持ちをただ吐き出すのではなく、解決方法を考え、行動にする。

 

これで、「妬まない、怒らない、愚痴らない」が出来るだろう。 

 

…こう思って3日間やってみた。

想像よりも出来ている自分に驚いた。

「怒らないと決めた」…頭に血が登った時に思い出すと、一気に冷静になれる。

とはいえ、まだまだ息子にイライラすることはあるし、

Twitterでつぶやいた後に「あれは愚痴だったか…?」と気になることもある。

けれど、一度は無理だと思い込んだ「三毒追放」に取り組んでいることが気持ちいい。

ただ、今は、自分一人でやれていると思い込んでいるだけかもしれない。

 

もし、私がプンプンしたりグチグチと話しているのを見た時は、

「三毒追放!」と声を掛けてもらえないだろうか。

「怒る」に関しては、頭に血が登って一瞬大声を出したりするかもしれない。

でも、その後冷静になれれば、そこは私が怒りを乗り越えたんだと判断してもらえたら嬉しい。

 

「三毒追放」が自然と出来るようになったら、どんな自分に出会えるか、楽しみにしている。