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私のかたちを書き留める

14 話を聞いてもらいたい。

ほぼ日刊イトイ新聞 - 糸井さん、僕を『面接』してください。

これ読みながら、志谷さんがうらやましいと思った。
(「うらやましい」は私にとって、自分を知るキーワード。)
 
「大人」にじっくり自分の話を聞いてもらえたこと。
 
私は子どもの頃、大人に自分の思いを存分に聞いてもらうという体験をしたことがない。
ずっと「聞いて欲しい」と思っていたのだけど、それを人に伝えることはしなかった。
近い人には気持ちはテレパシーのように伝わるのが本物で、「聞いて欲しい」って求めるのはかっこ悪いと思っていた。
時々、あまりにも伝わらないのでいらだって「何でわかってくれないの!」とか「聞いてよ!」っていうのだけど、
それを相手してくれる人はいなかった。
そういえば高校生の頃、けんかした母親に「聞いて欲しい」といったら、拒否された。
けんかしてるような余裕がないときに言ったって、受け入れてもらえる訳ないけれど。
そんなことで、ますます「私の話しを聞いてくれる人はいない…」と思い込んでいった。
 
自分の思いを聞いてもらったら、何がおこると思っていたのだろう?
聞いてもらえたら、自分はもっと尊重してもらえると思っていた。
私には人とは違う魅力があって特別だよと、誰かに言ってもらいたかった。
自分で自分にそんな魅力があると思っていなかったけど、話すことで、誰かには魅力を見つけてもらえる。
「大人」は自分より強くて完成しているから、その人に言ってもらえたら本当だろう。
 
実際自分が「大人」の年齢になってみると。
子どもの自分が、どれだけ過大な期待を大人に抱いていたかが良くわかる。
大人だって、自分の話を聞いてもらいたいのだ。
そして、認めてもらいたいのだ。
子どもの頃は、なぜか大人の話の聞き役になることが多かった。
自分の話を十分に聞いてもらえてない、認めてもらってないと思っている大人が、子どもの話を聞くはずがない。
私の周りは、そんな大人ばかりだった。
 
私もまだ、話を聞いてもらいたいと思っている。
ブログを書いているのも、その気持ちの表れだと思う。
でも今は、出来るだけ、人の話を聞きたいと思う。
聞いてもらった人でないと、話を聞きたいとは思わないのなら、
私がたくさん聞いてあげれば、いつかめぐりめぐって誰かが私の話を聞いてもらえるだろうか(笑)
そして、子どもの話を聞いてあげられる大人が増えるだろうか。
 
…冒頭に上げたリンクとは、だいぶ違うところに来てしまったなぁ(^^;;